大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章- をなんとか読み終える

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もう何年ぶりになるのか、10年?もっとか、よくわかりませんがサリンジャーの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章-」を読みましたよ。この文庫のデザインなんか好き。

「大工よ…」をすんなり読み終わり、「なんだよ意外とおもしろい!」というのが僕の感想であった。バディ青年の心中察するにあまりある、ような感じで。自治会の集会に行った時がちょうどこんな感じだったな!

短い文章なのにグラース家の雰囲気がいい感じで伝わってきたし、表題の「大工よ…」の言葉がでてくるところなんか、うん、いい。

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が、シーモア-序章-を読みだしてすぐにつまずいた。

なんと。なんと読みにくい。著者本人のようなバディのような彼が兄シーモアについて書いているんですが。

上の写真にある、「括弧の花束を受けていただきたい」まさにこれのおかげで(著者又はバディの思惑通り?)とても読みにくい。()がありすぎて読んでいる途中で何の話だか分からなくなる。だから読むの止めてもいいよ、とも書いてあるんですが。そう書かれて止めるのもくやしい。睡眠導入剤だと割り切り、1日数ページづつ読むことにしました。

亡き兄への思い、兄のこと、思い出、突然鮮やかに蘇る遠い日の瞬間などを思いつくままに(いや整理して?)書き出している、というような設定なんですね。うん、気持ちは分かるが読みにくい。しかし読み終わることで愛着が湧く、ということもありますな。たぶん。

かつて「吾輩は猫である」を読んだときのこと⇣を思い出しました。

半分程読み終えた辺りから、猫がくどい、と思いはじめました。 猫というのは、吾輩は猫、て言ってるその猫です。名前はまだ無い。 ...

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関係ないけど文庫本の紙っていい感じですよね↑という写真。

これ読みながら思ったんですが、読みにくい洋書の翻訳本ありますよね。上に書いたように()が多い、又は()内が長すぎて前後が分からなくなる。これは、もしかしたら英語で読んだら読みやすいのかもしれないですね。わかりませんけど。

英語なら 例えば「〇〇が〇〇する何々を」となるから、()が插入されても「〇〇する」までポンと出てれば、宙吊り状態で()内をウロウロすることがない、のかもな。どうなんでしょう、先生。

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