ものづくりにおける才能とか、そうゆうの


なんだかいろいろ考えているんですけど、ちょっとまとめてみる。

爆発的な才能を持っている人って、遅くても20代後半にはどこかで評価されたり、しますよね。だいたい。

普通の人は、若い頃、爆発的な才能の持ち主達を見て、ああなりたい、って思う人が多いと思うんです。僕もそう。で、年齢を重ねて、ああダメだ、彼らのようにはなれない、と思う。人によっては目指すものを諦めたりします。

今40才になって感じるのは、そもそも、爆発的な才能の持ち主達と僕等では(モノを作る上での)目指すべき場所が違うのだ、ということ。※社会的立場のことではもちろんないですよ。

僕等(一緒にしてスミマセン)が目指すべき場所は、年齢を重ねて、失敗を重ねて、力が抜けたり、知識が深まったり、味が出たり、その果ての、例えばその果てに辿り着く「どこか」だったりすると思うんです。

そもそも目指すべき完成形が違ったのだ、と言ったほうがイメージしやすいかな。やや言葉に語弊がありそうですが。あるレベルに到達した場合、完成形は例えば△と◯になる。好き嫌いはあれど優劣はない。というイメージです。だから

だから

あっちのほうでキラキラしているのを見て悲観しなくてもいい、こっちの道を自分なりに進めばいい、ということです。少なくとも自分は今そう感じています。

これは、20代のかつての自分に言っても納得しないと思う。「へーそう」と言って聞き流します。だけどなー、今これだけ見えてきたものがあるんだぜ?全然違うんだぜお前?

これは、誰に聞いたのか忘れましたが。職人の話です。

あまり器用な人は上達しない。という。

例えば、家具製作なんかだと、器用な人はすぐ出来ちゃうんです。つまずいたりしない。そうすると、できた気になるんです。

同じ図面で同じ仕口で同じ材料で1年目の人と20年目の人。ほぼ同じものができたりします。でも20年目の人は失敗した回数がぜーんぜん違う。だから、いろんなことを配慮して、心配して、工夫して、時には遠回りして、時には近道をして、その上で作るんです。だから見た目は同じだけど、中身が全然違う。

1年目の器用な人は、形になるもんだから、わかった気になってしまう。上澄みだけを掬って、「ああこんなもんか」と思う。

で?それでもいいんじゃない?

そんな気もしますね。

いや、それじゃあ話がまとまんない。

というか話がズレました。


いや

続けることで見えてくる世界、の話だ。つながってました。

天才が努力を重ねたら?

スポーツなんかではよくそう言われますね。天才が努力を重ねるのがスポーツ界。オッケ。スポーツ界はこの話から除く。


絵を描いても、立体作っても、音楽でも、デザインでも、「続けることで見えてくる世界」が間違いなくあるってことです。それが言いたい。

いや最近思うのが、音楽なんですけど、

私事でなんですが、若い頃気張って作った曲とかより、今のほうがゼーンゼンよくて。力が抜けて。ホント。

音楽は年齢重ねてからもっと演奏とか楽しんだらいいんじゃないかなーって、思うんですよねー

サヨナラ〜(編集したのに全然まとまらなくてスイマセ〜ン)

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