
30代の終わりにサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読むとこう【ネタバレ注意】
本と関係ないけど、11月の初雪は54年振りだそうで、記念撮影。
https://k5.kalafta.com/archives/1654
この↑記事の流れで「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみよう、と相成りました。
ずーっと家にあったのだから間違いなく読んだことはあるはずだが、読み始めてみると内容の記憶が一切無いことに驚く。あー驚いた。
Contents
さてお話のはじまり
主人公のホールデンくんは、学校に馴染めず転校を繰り返し、今回の学校でも退学が決まったところからお話がはじまります。裕福な家庭で育ち、若く、頭が良く、嘘つきで、威勢はいいが気は弱く、大人振り、そのくせどうしようもなく純粋で「インチキなこと」が許せない。「インチキなこと」ってこの本の中の表現ですが、僕が思うに「ウソ」かな。若いころに感じた大人たちのウソ。で、ホールデンくんは、それだけじゃなく、同世代のやつらの感覚にも馴染めない。女の子を口説いてどうにかすることばかり考えているやつらのことが許せない。もっとちゃんとした、お互いを理解し合ったような愛のかたちを求めているんです。
読みながら思う
ホールデンくん、分かるよきみ…。そしてイタイよきみ…。
でも彼も分かってる。どうしようもないんだよね。
ちょっと話がソレますが、世の中「気の持ちよう」だと思う。最低だと思うか最高だと思うか。幸せか不幸か。これは「気の持ちよう」です。つまり「気の持ちよう」をコントロールできれば人生怖いものなしだってことです。と、たまに思うけど、コントロールできねぇんだよな、とも思う。
さて、ホールデンくんに誰もが共感するかどうかはわかりません。僕個人としては、共感する部分が多々あります。過去にさかのぼり、ほんと分かるわ、大人なんか◯カばっかりじゃねーか、と思っていた。なにそれ◯カみたい、としょっちゅう思っていた、と。うーん、今はどうだ?今は…自分の力の無さを思い知る日々でございます…
しかしそれより何より、読み進める間、ホールデンくんそっくりの同級生のことをずーっと思い描き、重ねていた。ほんとそっくり。彼。えーと、苗字が思い出せない!
清水と鈴木の中間くらい
えー?苗字が、たしか、ニュアンス的には清水と鈴木の中間くらいなんだけどな…。本のレビューとしてはまったくどうでもいいことなんですが、この結末をぜひ伝えたい。ある日ようやく思い出したのです。清水と鈴木の中間くらい…それは「金子」だ!!
と、清水と鈴木の中間くらいが金子っていう、この言い得て妙な感じ(個人的に)が大変よかったです。
ライ麦畑でつかまえて とは
ライ麦畑でつかまえて、というこのタイトルの意味が気になりますよね。なんとなく、いい雰囲気のキャッチーなタイトルです。少年と少女がライ麦畑で出会う。そんな感じ。しかし読み続けてもそんな場面は出てこない。しかしやはり、すごくいい場面だった。
ホールデンくんがかわいい妹のフィービーと話している。フィービーがどうしようもない兄に聞きます「兄さんのなりたいものを言って」まったくかわいい妹だぜ。で答える。要約すると「崖のふちにあるライ麦畑でたくさんの子供たちが遊んでいる場所があるとする。そこで、誰かが崖から落ちそうになったらつかまえてやる役、言うなればライ麦畑のつかまえ役になりたい」と言ったんです。
ここで思うんですが、原題「The catcher in the rye」は直訳すると「ライ麦畑のつかまえ役」になりませんか?それじゃアレだからって、その話の過程で出てきた歌のタイトル(を間違えて覚えていたやつ)「ライ麦畑でつかまえて」を邦題にしたのかしら。それとも?
言葉つきについての訳者のお話 について
訳者の野崎孝さんが解説で書いてらっしゃるんですが、
この文体ー省略ーこれは、50年代アメリカのティーン・エイジャーの口調を実に的確に捕らえていると推賞され、ー省略ーこれを日本語に訳すことは至難であり、それを承知しながらあえてこの難事に挑戦した私の暴挙が、果たしてどこまで原文の感じを写すことに成功しているか、ー省略
本文中、〜しやがった、 〜やなんか、 〜の野郎が、 等々、 軽いべらんめえ調の言葉つき、と言ったらいいのか。これに引っかかる方もいるかも分かりません。上記の解説を読んで、逆に原文どうなってんの?と興味が湧きました。しかし英語話せないと違いはわからんでしょうね。
そういえば、村上春樹さんの訳した版もありましたよね。どう訳したのか気になるなー。
読み終えて

