阿房列車をまた読む【2013-02-15】

阿房列車―内田百けん集成〈1〉   ちくま文庫

ここしばらく、寝る前に百閒先生の阿房列車を再読しております。と言ってもはじめて読んだのが昨年だったか。「内田百閒」に関しては素人でございます。実際、小説を読んだことがない。随筆しか読んでない。

しかしね。
先生と呼びたい。はじめてですねこんなことは。いつもカバンに入れておきたいような本。

私は本を二度読むということが、あまりないのです。二度目を読もうとすると胸が苦しいような、そんな感じになるのです。

いや、そういえば「主に泣いてます」は2回読んだな。うむ。

さて、阿房列車ですが、百閒先生とヒマラヤ山系くんが、用事もないけど汽車に乗ってどこかに行く。行って帰ってくる、というそれだけのお話。この文庫本は、その阿房列車シリーズをまとめたもののようです。

なんといいますか、愛すべき無意味さといいますか。文章はとても味わい深いです。この文句は前に使ったな。しかし他に思いつかん。ニヤリとするか、しないかくらいのユーモア。ニヤリとするかしないかくらいのユーモアって、胸の辺りがほわ〜ってなる程度のユーモアということ。そして名言が随所に出てきますね。あれらは名言でしょうね。違いますかね。

それから、先を急ぐ必要がない。むしろ読まなくてもいいんじゃないか、というくらい。ま、今日は半ページでいっか。みたいな具合でして。

あ、あと仮名(かめい)のセンスが抜群ですね。ほんとすごい。まぁ、人に仮名を付ける必要、普通ないからな。しかし、私もこれから頑張りたいです。

過去のブログ記事の発掘と保管作業 “ftabuta-again”

【保管時のコメント】

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