霞斬田会名山(かすみぎりたあなさん)について想う
昨日描いたこのイラストでますます突っ走る川越の懐刀シリーズ。大したリアクションも得られず、シュール過ぎるのか?とたいそう不安に思っております。昨夜の会議で「我々はシュールさからはみ出したことは一度も無い」との指摘があり、どこか合点がいった。つまり努力すべきは私の思う面白さ(残念ながら=シュール)ではなくできるだけ分かりやすい場所を目指すこと。それでも、どんなにがんばってもシュールの枠内でしかないという、認識が必要。みんなが「行き過ぎないで!」と止めてくれているのかもしれぬ。
つまり、ここは反省。で、このイラストはここで成仏させようと想ふ
左様なら
川越の懐刀「霞斬田会名山」とは
まず懐刀とは。
ふところがたな【懐刀】
懐に入れて持つ、小さな守り刀。転じて、内密の計画にあずかる知恵者。〈Oxford Languagesの定義〉より引用
その刀の名を「霞斬田会名山(かすみぎりたあなさん)」と申します。刀であって刀でなし。すなわち、なんだ。刀である時も刀でない時もあるという(繰り返し)
ちなみに「霞斬」は我らが川越霞ヶ関の霞と、ただの霞「かすみ」を掛けております。霞も斬れるすごい刀というね。
さらに「田会名山」これはかつて©ターナーさんの由来シリーズで披露したもの。
「田が名山と会う」
麓の田が名山を引き立てている様子を詠った先人の詩
すなわち「素朴な美しさや小さな事柄こそが大きな、あの雄大な美しさの根幹である」
以上、そのような二つの意味を併せた名を持つ懐刀でござる